母の日に神社でオカルト?

母の日に日光へ連れていく、という話になった。

まず、去年の秋に私と眠り男が泊まった

「ヴィラリバージュあかりの宿」というペンション。

料理が美味しいので、母を連れて再訪しようとすると、予約サイトが作動しない。

実は去年も同じ状況で、仕方なく個人メールを出したらすぐ返事が来て

メールのやり取りで泊まることができた。

http://SNS.jp/view_diary.pl?id=1956486318&owner_id=1520304

今年はメールの返事がない。数日待って電話したところ

「メールを確認します、ああ、そういえば!来てました。お返事してなくて

申し訳ございません、ただ今、ご希望の予約日を調整中で

明日までにメールで返事をします、待っていただけますか?」と言われたが、

結局、返信がなかったので、慌てて違う宿を探した。

キャンセル料が発生するタイミングであり、

母の日だから、どこの宿も満室なのか? と思いながら某宿を23時にネット予約。

翌朝9時に母に詳細を告げると、なんと、父が行かないというではないか!

4人で予約してしまったので、大慌てで宿へ電話連絡すると

今回に限って、キャンセル料なしでキャンセル許可とのこと、

ありがとうございます!!! 感謝!!!

現在、父の生き甲斐は詩吟。だんだん計算もできなくなってきており、

20人が参加する協議会の参加費がどうしても計算が合わない、と

何度も何度もやり直したり、とにかく「無駄」が多い。

以前はコピー代金が合わなくて、持ち出ししていた。

だが、詩吟の裏方活動を禁じると、途端に血液の白血球の数値が暴走する。

仕方ないので、好きにさせているものの、母の気苦労は絶えない。

参加費の計算違いは、最終的に母がチェックして事なきを得ていた。

母は頭の中で、誰さんがいくら、というエクセルの表みたいなものを

描けるのだが、父はそれができないので、ひたすらチェックするのみ。

よって、同じ名字の人を見落としたりする。

母はもどかしくてたまらないようだが、あえて、放置している。

父はフリーの営業マンだったので、サラリーマンと違って年金がない。

母が個人的に保険だの何だので運用していたものを切り崩して生活しており、

父は月に3万円ほどの「詩吟教室の月謝」という収入を小遣いとして

ガソリンを入れて詩吟に通っている。はっきり言って赤字なので

母はイライラして痛風が悪化したり心臓に影響があり、

なんていうか負の悪循環なのだが、どうしようもない。

とにかく13日土曜日14日日曜日、父の予定表は真っ白のくせに

父は迫り来る詩吟の大会の事前準備で会の案内状をワープロ作成したり

などの事務作業で忙しいとのこと。ワープロもインクリボンを大事に使っている。

そして母。

日光の宿は温泉は取れず、ペンションだよ、と伝えると、どうしても温泉が良い、

さらに母はTBSテレビ、金スマの一人農業のヘルムートさんの喫茶店に行きたい、

http://tbs-blog.com/hitori-nogyo

という。慌てて、喫茶ハレルヤの場所を調べ、その近辺の温泉宿を探す。

結局、不定期開店の喫茶ハレルヤの外観を見るだけで良い、と母が納得し、

宿も近辺の宿は13日土曜日が満室で平日前日の金曜日なら1部屋ある、とのことで

12日金曜日に眠り男が代休をとって3人で行ってきた。

月曜日から修羅場だった眠り男は、水曜日は会社に泊まり込み帰宅せず、

木曜日の23時に帰宅して、金曜日、朝8時出発予定が

私が寝過ごしてしまい、大慌てで8時45分に埼玉の実家へ。

都内が混んでいて、埼玉では最近できた新しい道を間違えたり

予定より遅れて実家へ到着し、本当は途中で昼の予定が

母が近所のイオンで買ってきてくれていたオニギリを車の中で食べながら出発。

さらに、新しい道への行き方を「不参加の父」に「運転できない母」が

教わってメモしており、その指示で進む。

30年前に実家を出てしまった私としては、その指示は怪しいと思っていた。

案の定、目的の道へ行けず、

私と眠り男、私と母、母が電話父を怒鳴る、など車内阿鼻叫喚地獄

最終的に私が思い描いていた道で行く羽目になり、

だから、言ったのに!とか、そこまでのガソリン代と時間の無駄を

私がブチブチぐちぐち言っていたら、眠り男が切れてしまい、

そこで3人で気づいた。

ドラレコ買ったから、全部記録されてるから、事故ったら恥ずかしいよ!」と。

私は高速道路が嫌いで下の道で生きたがる。

眠り男は「道はなんでもいいから、的確に早めに指示してくれ」という。

母は「便利だし、お金出すから有料道路へ行け」という。

たとえば、運転経験者は左折より右折のほうがタイミングが難しい、など

わかるが、母は運転免許すら持っていないから、ギリギリで「そこ右!」と叫び

なぜ行かない、などいうので、私と母で喧嘩になる。

眠り男は、道を全く知らないし覚えようとしないので、

私が母に怒る理由を「単に右折斜線への誘導ミス」だと思っているようだが、

私と母は埼玉在住経験者ゆえ、群馬、栃木、茨城へのルートでどこを通るか

その先を考えて大げんかしており、眠り男はそれがわからないから

「イライラの度合い」に温度差があり、それもさらに空気を悪くする。

とにかく、有料道路優先、としたものの、母は笠間、水戸を通る

埼玉を東へ移動して千葉寄りのルートを希望するが、

そもそも関東の土地勘のない眠り男は東北自動車道で行けばいいと思っていて、

栃木と茨城がごっちゃになり、何度も私に「宇都宮でいいの?」と質問してくる。

私は中央の真岡を通るルートで行きたかったのだが

その説明をしているうちに、ごちゃごちゃしてきて、さらに

うちのカーナビは2011年に買ったものだから新しい道路の情報がなく、

落としどころの無いまま、間違えつつも

いつの間にか、私の望むルートになっていた。

よくわからない有料道路も通ったが、料金所で

「あれ! 珍しい、懐かしい、その車何だっけ?」と話しかけられ

「いやー、古いのに綺麗に乗ってるねー、大事に乗ってねー」と言われた。

もちろんETCなんてついてません、うちの車。

まずは、茨城の常陸大宮の喫茶ハレルヤへ。

もちろん店は閉まっていて、外で男性が大工作業をしていた。

メニューと次回開店予定=14日11時から、という看板を母が撮影。

屋根に「やさい」と書いてあるので、どこかで売ってないか探すも無い。

作業している男性に「敷地内で撮影しても良いか?」尋ねると

「自分はただの業者なので、わからない、答えられない」と。

諦めて周囲を一周し、宿へ向う途中、道の駅に寄ろう、となった。

道の駅へ行く途中で突然、

母が「Tって、おじいちゃんの学校が近いかも」と言い出した。

確かに、死んだ祖父は茨城に親戚がおり、私も小学校低学年の頃

1度だけ行った記憶がある。

鮎の梁魚とか、山奥で地元の子供と遊んだが日本語がわからなかった事とか

おぼろげな思い出がある。それはKという地名だったが、

要は茨城の親族が一番ランドマークになりそうな地名のKと言っていただけで

正確にはHという場所らしく、道の駅への周辺に、確かにTもHも地名があった。

そして、道の駅で生産者名入りの野菜を見ていて、あったのだ。

母の非常に珍しい旧姓が。

母の旧姓は珍しいので、子供の頃、人前で言うなと言われていた。

私も生涯で母の旧姓に2人しか会ったこと無い。

しかも、片方は親族というか、やはりルーツは繋がっていた。

母はそんな旧姓の実家から、割と、虐げられていた。

祖母が長男教信者だったので。

祖母からすると、大事なのは男の子、嫁に出して名字が変わった娘は

娘でない。召使だったのだ。

祖父の死後、母は何度も祖母を引きとりたい、介護したい、と願い出たが

どんなにお嫁さんに邪険にされても、祖母は三男の家で晩年を過ごした。

祖母は手塩にかけた長男とは、一度も一緒に暮らした事がない。

長男(私の叔父)は「自分さえ良ければ良い」人で、私は大嫌いだった。

長女の母は召使、その配偶者の私の父も召使、次男は早逝して既に鬼籍、

三男と三男嫁と最初は同居していたが、三男嫁と祖父がうまくいかず、

結局でてしまい、お金のなかった四男末っ子と嫁と娘2人がしばらく

同居していた。この四男嫁がすごい人で、とにかくひたすら20年耐えて

お金を貯めて、あっという間に出て行ってしまった。

たぶん、言わないだけで、いろいろあったと思われる、同居の間。

私は四男嫁には非常にお世話になり、小3の夏休みは、

ほぼ祖父宅で過ごしたので、思い返してみれば、

実質私の世話は四男嫁がやっていた、と思われる。

母は実家にいた間、弟たちの面倒を見ていて、特に末っ子四男は

父兄参観に行ったり、送り迎えなど本当に母親代わりだったので

四男は私を非常に可愛がってくれた。でも嫁には関係無い話なので

考えてみれば、四男嫁さんには頭が上がらない。

とにかく、祖母の晩年は侘しい感じが否めない。

そして、母は男尊女卑の母の実家で、完全に召使扱いなのに

母は自分の実家をすごく大事に考えていた。

そして、スイッチが入ってしまった母は、次々と地名やイトコについて

語り出した。道の駅の奥に観光案内所みたいなところがあって

そこで母は思い切って、イトコの名前を言ってみた。

さすがである。その観光案内所受付の女性は、そのイトコの名前をご存知だった。

だいたい、あの辺だよ、家は、と教えてくれ

さらに住所と電話番号まで教えてくれた。

ちょっと個人情報保護という点で、怖いといえば怖い話だが。

まあ、我々が悪い人に見えなかった、ということで。

その電話番号をカーナビに入れると、ビンゴ。

2011年のカーナビは、個人宅の電話番号が入ってる、ということだ。

私のIphoneとカーナビがほぼ同じ場所を告げるので行ってみたが

母は何度も右と左が違うという。

2度同じ道を通り過ぎ、3度目のチャレンジで郵便局に立ち寄って

イトコの名前を告げると、「ああ、彼の家ならあそこだよ」と番地を教えてくれた。

やはり、場所は同じで、母が左右が違う、と言っているものの

地図ほか情報はそこを特定してる。仕方なく私は一人で車を降りて

個人宅の表札を見に行った。母と眠り男は車の中で待機しつつ、

眠り男は狭い路地で方向転換しようと奮闘していた。

その個人宅は門のところに表札がなく、仕方なく私は失礼ながら覗き込む

形になったが、何しろ大きなおうちで、玄関の表札が視力検査の2,0以上でも

見え無い。おぼろげにあの漢字の形は母の旧姓じゃなかろうか?と

思うものの、飼われている犬が吠えるし、家の中のお爺さんらしき人=

多分母のイトコさんがステテコでこちらを見てるし

名乗ったところで菓子折りの一つも持っていなくて、

向こうだって困るだろうし、と考えると、一歩が踏み出せず、

なんの確認もできないまま踵を返した。

母は自分で行く勇気が無い、と車から降りず

方向転換に失敗して眠り男は土を盛った部分に突っ込んでしまい

ナンバープレートが中に折れ曲がっていた。

結局、よくわからないまま、宿へ向かうことに。

そのまま、たぶん祖父が通ったであろう中学校を横目に北上する。

たぶん今日明日あたり、郵便局の人や道の駅の人が

イトコさんに「東京から女の人が訪ねてきたでしょ?」と問い合わせると思う。

そしてイトコさんは「いや」と答えると思う。

運が良ければ「あ!あの時、犬が吠えてたな」と気づくかもだが

我々は名乗らなかったので、ヒントを残しておけば、よかった、と大後悔。

今は誰も住んでい無いが、祖父は葛飾区に住んでいたので

「東京から来ました」でなく葛飾というキーワードを残せば

「ああ、たっちゃんのところの!」など繋がるかもしれないが、

ただの東京だと誰だかわからなくて、きっと気持ち悪いと思われる。

ごめんなさい、イトコのRさん。

道で眠り男に告げる

「宿から事前に電話があって、皆さんゴルフ場まで行ってしまうが

それだと行き過ぎで、左に看板があるから、そこで曲がってって

言ってたけど、そもそも、宿の人は、私たちがどっちから来ると思って

左って言ったのだろうか?」と。

そして我々はカーナビが告げる場所で曲がると、そこはゴルフ場で大笑い。

どうも眠り男によれば、宿の人の説明が左右逆で

我々はイトコ探しをしていたので栃木方向から来たが

東京から来る人は、水戸方向から来るケースが多いのでは?と予想して

そのまま進むと、宿の看板発見。右折すると山奥をウネウネと進む。

信じられない距離の山道を進み、対向車が来たらどうしよう?と

心配していて、やっと宿に着いた。秘湯と言われる山の中だ。

湯の澤鉱泉

http://www.yunosawakousen.com

こちら、なかなか良かった。写真中央が泊まった部屋。

正直、掃除が行き届いていなくてほこりっぽいし、虫の死骸は落ちている。

スリッパがないため、裸足で宿をうろうろする羽目になる。

そして、写真映えしない食事。だがしかし、この非フォトジェニックな

食事が、すべて美味しいのだ!!!!

人生で数回食べた鮎の塩焼きのなかで一番美味しかったし

自家製のたくあんとか、そういう他愛もないものが、すべて美味しい。

イワナの骨酒も美味しかったー。

白米も、見た目、べちゃっとしてて、えええええ?と思ったが

あら不思議。食べると美味しいのだ。

お風呂も、ヒノキ風呂と岩風呂の大ならぬ中浴場で、一見、まあまあ

可もなく不可もなくだが、湯が柔らかく、また入りたくなる。

ボディシャンプーとリンスインシャンプーしかなく

髪の毛がバリバリになるりそうだったのだが

備え付けのドライヤーのターボとやらにすると、あら不思議、

ブローなんてしなくてもサラサラヘアーに乾く。謎だ。

化粧品の類は一切なく、つまり「余計なものをすべて排除した」

湯治場だと考えると納得がいく。

宿に到着して、すぐ風呂に入って、食事を終えて

食べ過ぎて苦しくて、3人ともしばらく寝ていた。

母が途中で起きて風呂へ行き、その次に私が行き、最後に寝る前に眠り男が行き

翌朝起きて、またしても美味しすぎる朝食を食べて、チェックアウト。

その最中にも電話がなり、

「ああ、はい、この間はどうもありがとうございました。

ああ、ええ、6月もきてくださる、ありがとうございます。

はい、26日、はい、お部屋あります」など、リピート客からの問い合わせで

おかみは休む暇がなさそう。

外には、ベンツだのBMだのレクサスだの6台ほどがやってきて???と

思っていたら、ゴルフの団体さんだという。

近場のゴルフ場でゴルフして、夜にやってくる予定のお客様が

土砂降りでゴルフが中止になってやってきた、らしい。

どうやら、そういうことは慣れっこなようで

どうりで、そりゃ、掃除はできる限りだよね、と。

我々は10時チェックアウトのところ9時半に出たのだが

9時半には夜に来るはずの「馴染み客」が大挙して押し寄せてきて

天候で予想していたらしいおかみさんや宿の人たちは、笑顔で

「雨だもんねえ」とか迎えていたので。

昔は食にさほど興味なく、そもそも食が細かったので気にもしなかったが

更年期になって、大人になって、美味しいものに出会って

お金と時間を払えば美味しいものが食べられる体験を繰り返してわかった。

この宿にリピーターが多い理由は、くつろげることと、あの家庭料理みたいな

非フォトジェニックな料理が美味しいからだ。

土砂降りの中、宿のすぐそばの陰陽神社(写真左)に向かう。

宿のご主人が「車で階段下まで行けるから」と教えてくれた。

ギリギリの場所に駐車して、いざ登ろうとするも、

山道の階段の先が見えない。たぶん神社までだいぶあると思われ

土砂降りゆえ母が足を滑らせて怪我すると困るので

お参りは諦めて車で帰ろうとした。

だがしかし、車が動かない。キーを入れてもキーが回らない。

眠り男が焦りまくっている。

バッテリーが上がってしまったとか、そういうことでなく

キーが回らないのだ。

「たぶん、斜めの坂に駐車したとき、ギアが変な部分に入ったまま

ロックがかかってしまったようだ」と。

母と私は、「神社の神様、安全運転しますから、どうか車が動きますように」と

お祈りしてみた。

眠り男は「そういうことじゃなくて」と言っており

私は「マツダに電話して、こういう場合どうすべきか、ヒントをもらったら?」と

トンチンカンなことを提案したりしていた。

そして、1分後くらいに、無事キーが回って、何事もなくエンジンがかかった。

「こ、これは、山の神様もしくは神社の神様が、安全運転しろよ、と

啓示のために、車をロックしたのかな? 確かに最近運転に慣れてきて

あんな坂道に普通に止めちゃったけど、考えてみれば、ちゃんとUターンして

安全な場所に止めるべきだった。坂の途中に深く考えずに止めたから

怒られたのかも」と皆で反省して、帰路を進む。

帰りは日光周りにして、元イギリス大使館別荘と元イタリア大使館別荘を見学。

イギリス大使館別荘は完全に博物館かされており、綺麗でキュートで

アーネストサトウという大使の歴史がわかる作りになっている。

サトウは佐藤でなくSATOWというスラブ系の名前だったそうで、

サトウという発音のおかげで彼は日本人に馴染むことができたそうだ。

写真右は元イタリア大使館別荘で、こちらは栃木県が買い取ってから

当時の設計図を元になるべく忠実に復元したそうで、展示物は少なく

建築が面白かった。天井も壁も木の皮でできており、非常に凝っている。

雨の中を動き回るわけにもいかず、予定して用意してきたセーターを着ても

パーカーやウルトラダウンを着ていても寒いので、帰ることに。

いろは坂を下って日光市内についたころには14時半を過ぎてしまい

昼食を食べられる店が少なく、仕方なく食べた湯葉御膳はまずかった……。

もう二度とあそこにはいかない。

美味しい湯葉をこんな不味い味付けにするなんて……、残念だ。

そのまま柏崎商店で山椒の実、木の芽、花山椒の瓶詰め漬物を買って

隣の藤屋湯波店で見切り品の湯葉を買って、今回は生湯葉は買わず、

最後に栃木の日光道の駅(実は今市に在る)で買い物して

実家に帰ると19時だった。

茨城の道の駅で買ったこごみをさっと茹でて、ポン酢で食べて

一本グランプリを見て就寝。

翌朝、母のパソコンの調子を見た。

2009年ごろ私が買ってあげたWindows7を

母は頑なにバージョンアップを拒否したので

妹がWindows10を買ってきた。

私も、10はお手上げである。

PCのあちこちにアカウントがあって、そこにいちいち母の実名が出てくるのは

問題ないのだろうか? 

私の友達はメルアドがbikkuriだのbonbonboonだのjomijoboだの

ふざけた名前が多く、彼女たちのアカウントは全部そういう系だ。

でも私には治せない。

そんなことをやっていたら、午前中が終わってしまい

父と母とランチへ出かけた。

母の日だというのに、父が「平べったいパスタが食べたい」とパスタ屋へ。

そこは本格イタリアンを学んできた人が開いている庶民パスタ屋で

最初に行った時は、おお、と思ったが、だんだん心配になった。

ボロネーゼがボロネーズになって、ナス、しめじ入りとか

メニューが微妙に変わっていくので。

予感はしていたのだが、というとう平打ち麺は無くなって

ペンネかスパゲッティーニしかない。

そしてペンネアラビアータがなく、ペンネアラビアータのグラタンである。

なぜグラタンにしちゃうんだろう……

とにかくランチを食べて、しまむらで眠り男のジーンズ2900円を3本も買って、

途中ホームセンターでベランダ用の土を買って帰宅。

茨城はほとんどカードが使えず、どんどんお札が減って、怖かった。

栃木に入って、道の駅ほかでカードが使えて、

大使館別荘もパスモで支払えて、ホッとした。

来年の母の日のテーマは鰻と温泉らしい。

父の日は、どうしたものか。